真田家– category –
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昌幸がこだわった沼田領、その攻略戦
【家康との遺恨の種になる沼田領。昌幸はどのようにして手にいれたのか】 天正2年(1574年)に真田家当主・幸隆が死去。家督を昌幸の兄・信綱が継ぎますが、翌年の長篠の戦では信綱だけでなく、次兄・信輝までもが討死し、三男の昌幸が真田家の家督を継ぐこととなります。 幼いころから、信玄の近くに仕えて現在で言うところの伝令将校のよう... -
天正壬午の乱
本能寺の変で織田信長が横死したことにより、旧武田領は、上杉・北条・徳川の草刈り場と化し、混乱します。 そんな中、真田昌幸は各国のバランスを上手く利用しつつ、謀略の限りをつくして窮地を乗り切り、独立大名としての基盤を築いていくのでした。 【織田信長の急死後の動き、激動の天正10年】 天正10年(1582年)3月11日の武田家... -
薫(山手殿)
高畑淳子さんが演じる信幸・信繁の母親・薫。真田丸では京の公家出身で昌幸に嫁いだという設定の中、活発なキャラクターの信繁の祖母・とりや姉・松とは違い、上品な女性として描かれています。対比を見せることでその人物像を際立たせる三木谷さんの脚本ですが、実際のところ、彼女の生い立ちはどんなものだったのでしょうか? 【公... -
松(村松殿)
【弟、信幸・信繁から慕われた、真田昌幸の長姉】 松(名は於国)は、永禄8年(1565年)真田昌幸の長女として誕生。信幸、信繁の姉にあたり、大河・真田丸では木村佳乃さんがはつらつと演じられているのが印象的な女性です。 天正10年(1582年)ごろ、甲斐の名門・小山田氏の小山田茂誠(しげまさ)に嫁いだ松。 小山田家滅亡後は、この婚姻... -
信繁の初陣は?
【信繁の初陣は?第一次上田合戦への参戦は?】 真田信繁(幸村)という人物を考えるときに、みなさんの頭をたびたに悩ませるのが、その歴史的資料が少ないということです。まさにそれが、この初陣はいつだったか?ということでしょう。その足跡をいわゆる信頼のおける歴史的一次資料に頼るとなると、秀吉の北条征伐などまで時間をすすめるこ... -
真田昌幸~信玄の元で過ごした少年期~
【信玄公、曰く「我が両眼の如し」】 戦国一の知将「真田昌幸」、幼名を源五郎。彼を形成した元服前の少年期。どのように過ごし、成長していったのか。その生涯についての記事投稿です。 天文16年(1547年)、真田幸隆の三男として誕生。この当時、幸隆は海野平合戦で所領を失い、武田晴信(後の信玄)に臣従することで、旧領を回復していく... -
とり・恭雲院(きょううんいん)
【真田信繁(幸村)の祖母であり、昌幸を名将に育てた戦国のゴッドマザー】 大河「真田丸」、NHKの公式サイトでは、「偉大な武田信玄の全盛期を知る、信繁の祖母。昌幸を名将に育て上げた、戦国のゴッドマザー」と紹介されています。演じるのは草笛光子さんで、とてもいい味をだしておられます。何でもこのとり役が気に入りすぎて、「どうか... -
堀田作兵衛
【信繁(幸村)大坂入城の際には、上田より駆けつけた忠義の臣】 大河・真田丸で藤本隆宏さん演じる「堀田作兵衛」(堀田興重とも言います)。信繁、最初の正室とも言われる梅(黒木華さんが演じます)の兄にあたる人物です。 ドラマでの堀田作兵衛は地侍で、農兵兼業で真田家を支えるという家柄。末端の家臣のようにも見えますが、信繁との... -
高梨内記(たかなしないき)
【信繁(幸村)とともに大坂の陣にも参戦。忠義と魂を魅せた戦国武将】 大河「真田丸」では中原丈雄さん演じる高梨内記(たかなしないき)。信繁の幼なじみで側室のきり(長澤まさみ)の父親にあたる人物という設定です。 史実、昌幸と信繁、二代にわたって旗本として仕えた家臣団の中枢であり、浮き沈みの激しかった真田家に、最後まで付き... -
出浦盛清(出浦昌相)
【実在し、実際に活躍した史実ものこる「忍者」】 真田丸では寺島進さんが演じる出浦昌相(いでうらまさすけ)。ややこしいですが出浦盛清(いでうらもりきよ)とも呼ばれていて、こちらの方がネットでも検索しやすいです。※出浦対馬守(つしまのかみ)とも。 敵城へ配下の透破(すっぱ)を潜入させる際、それより先に自分が忍びに入って探索し... -
真田幸村、それとも信繁? 正しいのはどちらなのか②
以前にも投稿させていただいた記事、真田幸村、それとも信繁? 正しいのはどちらなのか、その第2弾になります。 今回は、私見たっぷりに語りますので、おしかりの言葉・ご意見などはコメント欄にお願いします。 【】 【歴史を語る楽しさ】 歴史は、 実際に見た人。 または経験した人。 それを伝えた人。 そしてそれが伝わっているその時代の... -
上田城、築城のお話し~昌幸・その独立への過程~
【上田城築城にまつわる昌幸の謀略とそのストーリー】 以前にも、当ブログのカテゴリー「真田丸を楽しむポイント」の記事投稿「まさにファンタジスタ!知将・昌幸」(少しふざけたタイトルにしてみました・すいません)でも少しだけふれました、上田城築城についてのお話しです。 真田丸でも大きく描かれる2度の対徳川迎撃戦。その舞台となる... -
長谷寺・昌幸とその父・幸隆が眠る場所
【】 【真田家の菩提寺・長谷寺(ちょうこくじ)】 昌幸の父・幸隆夫妻と、それに昌幸本人のお墓(上田市指定史跡)のあるお寺です。 本堂や石門など、境内随所に六文銭があしらわれているそうです。 春にはシダレサクラが満開に、おすすめです。 所在地 長野県上田市真田町長4646 電話番号 0268-72-2200(真田地域自治センター) 拝... -
猿飛佐助・修行の地~角間渓谷~
【角間渓谷・岩屋観音】 「鬼が住まう谷」とも呼ばれる角間渓谷・岩屋観音。 鬼が住みかとしていたのを、平安時代、坂上田村麻呂が退治し、観音様をまつったという伝説があるそうです。 真田郷の烏帽子岳山麓に存在し、秋には紅葉の名所として、また森林浴の森100選にも選ばれるほどの名勝になります。 写真の岩屋観音(※この呼び... -
まさにファンタジスタ!知将・昌幸
【武田滅亡後、真田の生き残りをかけ、炸裂する昌幸の知の戦略!】 武田勝頼の死後、主家を失った真田家は小さいながらも独立の道を歩むことになります。 ですが、この弱小勢力の周囲には、北条、上杉、徳川、織田と豪華なメンバーがまさに揃いぶみ。 とてもではないですが力で対抗できるような相手ではなかったのです。 昌幸の知略・謀略・... -
小山田茂誠(おやまだしげまさ)
【武田家の名門「小山田氏」を出自に持つ、茂誠。主家滅亡後は真田とともに】 大河ドラマ「真田丸」では高木渉さん演じる、小山田茂誠(しげまさ)。信幸や信繁(幸村)の姉にあたる松(木村佳乃さんが演じます。※村松殿とも)の結婚相手にあたります。 生まれた年が、永禄4年(1561年)もしくは永禄5年(1562年)ということですから、永禄10... -
真田家、その忍びの流派
【】 【そのルーツから戦国の世の厳しさを経て成長・再編、幾度の情報戦・ゲリラ戦に打ち勝つ】 真田家は滋野氏をルーツとし、その成り立ちからすでに忍者との深い関わりがありました。 では、その流派とは何だったのでしょうか?伊賀や甲賀との関わりは?考察していきたいと思います。 まずは、真田家の領地内の上田郷には「戸隠の里... -
真田家の甲冑~信繁(幸村)所用・鉄二枚胴具足~
真田信繁(幸村)の所用だったと伝わる胴具足。 鉄二枚胴具足です。 南蛮(ヨーロッパ)の甲冑の影響を受けているデザインで、松代藩真田家に代々受け継がれ来たという一品。 ※松代藩真田家は信繁の兄・信幸(信之)を藩祖とする家系になります。 真田家の甲冑は、どれも実用性をあくまで重視したデザインにその特徴があると思われますが、こ... -
真田家の甲冑~昌幸所用・啄木糸素縣威~
関ケ原合戦後に、紀伊九度山に蟄居と なった昌幸に従った真田家の家臣・河野清右衛門の手により守られてきたと伝わる甲冑です。 その名を「啄木糸素縣威・伊予札胴具足」 (たくぼくいとすがけおどし・いよぎぬどうぐそく)と言います。 啄木糸とは、さね(札)を編む糸が 白黒のまだらとなっているもののこ とを言うようで、キツツキ... -
真田昌幸~戦国一の知将~
【信玄から「我が目」の如しと賛辞を受けた昌幸】 甲斐の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。 信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。 織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の後北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下に... -
出来る人物から学び己を磨く~昌幸の成長に信玄の影あり~
真田昌幸は父・幸隆の三男であったため、最初は武田家に人質に出されています。 しかし、元服前よりたいへん聡明だったため、信玄の奥近習に取り立てられ、足軽大将にまで出世。 その活躍と明晰さから、信玄をして「我が目の如し」と評されました。また、兄二人の死後、真田家に復帰するまでは、武田の名門「武藤」を名乗るよう信玄から指示... -
真田幸村、それとも信繁? 正しいのはどちらなのか
【】 現在、真田信繁と表記される機会も多くなっているのですが、本当に「幸村」と呼ぶことは間違いなのでしょうか。その人生について、謎の多い人物ならではの疑問なのかも知れません。 幸村=信繁、その名前の謎について考察してみたいと思います。 まずは、幼名や、諱(いみな)など確認のとれるものが以下、 幼名:弁丸 諱:信繁 ... -
真田家のルーツ~大塔物語から~
応永7年(1400年)に起こったと言われる、信濃守護小笠原長秀が、村上氏・井上氏・高梨氏・仁科氏ら有力国人領主及びそれらと結んだ中小国人領主の連合軍(大文字一揆)と善光寺平南部で争った合戦。それが大塔合戦(おおとうがっせん)です。 大塔物語は悲話なども織り交ぜながら、史実に基づいてこの大塔合戦について語られており、史料性... -
真田の郷~真田氏館跡~
【】 永禄年間(1558~1570年)に構築された館の跡地。 敷地内には大手門跡や厩屋跡、土塁などが残り、中世豪族の居館跡としては非常に価値のあるものだそうです。 現在は「お屋敷公園」として整備され、ヤマツツジの名所としても有名。 場所は、真田氏歴史館に隣接しています。 -
真田の郷~真田氏歴史記念館~
真田氏歴史記念館は、時代の流れに沿って真田家の歴史を詳しく紹介する記念館です。昌幸の書状や真田家に伝わる復元甲冑など、展示内容はたいへん魅力的。 戦国の激動の世を生き抜いた真田三代の足跡を辿り、真田三代の活躍に思いを馳せることができます。 長野県上田市真田町本原2984番地1 TEL:0268-72-4344 入館料 一般200...